- はじめに
- 1.地獄に堕とされた教皇
- 2.無名の修道士が教皇に即位
- 3.“教皇”ボニファティウス
- 4.教皇勅書-教皇の権威はあらゆる権力で優越する
- 5.アナーニ事件、そして憤死
- 6.ダンテとボニファティウス
- 最後に
はじめに
本日、1月25日が何の日かご存知ですか?
ヒントは1077年の出来事です。
そう、世界史の授業でお馴染みの“カノッサの屈辱”が起こった日です。
1077年、北イタリア山中のカノッサ城において、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が3日間、雪が降りしきる中で許しをこい、教皇グレゴリウス7世が破門を解いた事件です。
両者は聖職叙任権をめぐり対立しており、教皇首位権とドイツ内の皇帝支配権の確立をめざす双方の利害対立を背景としていました。
最終的にはグレゴリウスが破門を解いており、教科書では「教皇の優位性」を示す事件として扱われていますが、事件後、ハインリヒはローマに侵攻して自ら擁立した新教皇から皇帝の冠を受け、グレゴリウスを追放しています。
このように一悶着あったものの、教皇の権威は世俗の権威に対して優位な立場にありました。
その結果、教皇と高位聖職者の生活は贅沢を極め、もはや聖職者と言えないほどに腐敗していきました。
今回取り上げるのは、そうした時代を残酷に写し出した教皇ボニファティウス8世です。
人名自体は教科書には載っていますが、それ以上に深掘りした内容となっています。
授業のネタや、受験勉強の合間の読み物にしていただけると幸いです。
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