【共通テスト2024】世界史B解答・解説②

 

はじめに

前回に引き続き、2024年1月13日(土)に実施された「大学入学共通テスト世界史B」の解説をしていきます。

 

問題は次のURLよりご確認ください。

https://www.fukuishimbun.co.jp/common/dld/pdf/fe46d519cdc0e50ef3d02621341ca73c.pdf

 

今回は第2問の解説です。

 

 

第1問の解説はこちらからどうぞ。

hikutsu-kun.hatenablog.com

 

 

 

第2問 世界史における諸勢力の支配や拡大

A アレクサンドロス大王の支配の評価

問1 〔 10 〕古代オリエントギリシア・ヘレニズム【知識(+読取)】

① 誤り。「自身が滅ぼした王朝」はアケメネス朝を指すが、バビロン捕囚を行ったのは新バビロニアである。

② 正解。資料2中にソフォクレスエウリピデスが登場するが、いずれも悲劇作家である。ペルシアの子どもたちがギリシアの悲劇作家の作品を学んでいることが読み取れる。

③ 誤り。資料3によると、アレクサンドロスペルセポリスを焼き払ったのは「150年前にペルシア人ギリシアを攻撃し、アテネの神殿を焼き払った報復」である。これはペルシア戦争を指す。ペロポネソス戦争アテネ・スパルタ間の対立から起こった戦争である。

④ 誤り。アレクサンドロスの父フィリッポス2世が主導したのはコリントス同盟である。デロス同盟アテネを盟主とした対ペルシアの攻守同盟である。

 

 

問2 〔 11 〕マニ教、文明化の使命【知識+読取】

 Ⅰは“ローマ共和政末期”におけるアレクサンドロスへの否定的評価。ローマ共和政は前509年の王政打倒から前27年の元首政開始までの時期。一方、(あ)のマニ教は、3世紀のササン朝で生まれたのであり、ローマ共和政の時期には存在しない。よって、評価Ⅰの時代背景として(あ)は適切でない。

 Ⅱは“19世紀後半ヨーロッパ”におけるアレクサンドロスへの肯定的評価。19世紀ヨーロッパにおける産業革命の結果、工業の発展からとりのこされた非ヨーロッパが「野蛮」ととらえられるようになった。「野蛮」な非ヨーロッパに、ヨーロッパの「文明」をもたらす使命がある、とする考え方を「文明化の使命」論といい、この考え方に基づいて列強は植民地を拡大していった。この考え方の後ろ盾として、アレクサンドロスに肯定的な評価がなされることがあった。よって、評価Ⅱの時代背景として(い)は正しい。

よって、③が正解

 

 

 

B 19世紀におけるアメリカ合衆国の領土に関する法律

問3 〔 12 〕19世紀のアメリカ-ミシシッピ以西のルイジアナにおける奴隷制【知識】

 ミシシッピ以西のルイジアナは、1803年、フランスから買収している。よって、国の名はフランス。

 空欄( ア )は、直後に「北緯36度30分以北の部分においては奴隷制・・・禁止する」とある。これは、1820年に制定されたミズーリ協定の内容である。北緯36度30分以北に奴隷州をつくらないことを定めた。

 よって、正解は④

 

補足

ルイジアナ領有の流れ

・1682年 フランス領ルイジアナ成立

ミシシッピ以東:

 1763年 パリ条約でイギリス領

 →1783年 パリ条約でアメリカ領

ミシシッピ以西:

 1763年 パリ条約でスペイン領

 →1800年 フランス・ナポレオンに返還

 →1803年 アメリカが買収

 

 

問4 〔 13 〕19世紀のアメリカ-西部開拓の背景【知識】

 問題文にあるとおり、正解は2パターン。

 (あ)は1830年、ジャクソン大統領のときに制定された、ミシシッピ東岸のインディオを中西部の保留地に強制移住させる法律。よって、背景はY。

 (い)は1854年ミズーリ協定を否定し、準州が州昇格の際に奴隷州か自由州か選択できるようにした法律。南北対立激化の一因となった。よって、理由はX。

 なお、Zは南北戦争中に制定されたホームステッド法。

 よって、正解は②か④

 

 

問5 〔 14 〕19世紀のアメリカ-西部開拓・奴隷制をめぐる法制の影響【知識】

 〔 13 〕で②を選択した場合、正解は①。インディアン強制移住法に対し、チェロキー族は最後まで居住を拒んだが、1837年に軍隊が派遣され、移住を強く迫られた。結果、チェロキー族は1300キロにおよぶ移住を余儀なくされ、その旅路で約4分の1が命を落とした。この旅路を「涙の旅路」という。

 〔 13 〕で④を選択した場合、正解は⑤カンザスネブラスカ法は南部主導で可決されており、これに反発した北部の奴隷反対論者は共和党を結成した。

 

 

 

 

C 朝鮮戦争の休戦交渉に関わるスターリン毛沢東宛の電報

問6 〔 15 〕朝鮮戦争、SEATO【知識+読取】

 資料はスターリンから毛沢東宛に発された電報である。よって、「我々」はスターリンソ連毛沢東の中国を指すものと考えられる。

 空欄( イ )については、資料の終盤2行に「我々(=ソ連・中国)が休戦協定で主導権を取っている」「( イ )側が譲歩するように仕向けるべき」とあり、ソ連・中国と( イ )が敵対している様子が読み取れる。よって、空欄( イ )はアメリカ主導の国連軍があてはまる。

 空欄( ウ )については、資料の説明文に「この戦争は、( ウ )が派遣されて戦闘に加わることとなった結果、中国とアメリカ合衆国との間の「熱い戦争」へとその性格が変わっていった」とある。朝鮮戦争は当初、「北朝鮮対韓国・国連軍(アメリカ)」という構図だったが、中国の人民義勇軍が北側で参戦することで中「北朝鮮・人民義勇軍対韓国・国連軍」という構図に変化している。よって、空欄( ウ )には人民義勇軍があてはまる。

 下線部bに関連する国際組織については、下線部の3行前に「朝鮮戦争をきっかけに」とあるため、朝鮮戦争直後に結成された組織を選ぶ。また、問題文中に「アメリカ合衆国も参加して」とあるため、1954年成立の東南アジア条約機構(SEATO)が正しい。東南アジア諸国連合ASEAN)は、1967年、ベトナム戦争に対応して東南アジア5か国が結成した、反共軍事同盟。現在は経済協力機構に変質し、10か国が加盟している。

よって、正解は②

 

 

問7 〔 16 〕戦後の東欧史【知識】

 空欄( エ )は、「1948年2月に共産党のクーデタが起こって」とあるため、チェコスロヴァキアがあてはまる。同国の歴史について述べた文を選べばよい。

① 誤り。ポズナニ暴動はポーランド

② 誤り。チャウシェスクの処刑はルーマニア

③ 誤り。ブルムの人民戦線内閣はフランス。

正解ドプチェクは1968年、「プラハの春」を指導。ソ連の介入を受け、辞任。

 

 

問8 〔 17 〕中国・ソ連の五か年計画【知識+読取】

 グラフから読み取れる内容は(い)。農林・水利+運輸への投資額は全体のおよそ4分の1。農林・水利+工業への投資額は全体の5割を超えている。

 ソ連の第1次五か年計画は、1928年から1932年の間、スターリンの指導下で実施。

X 誤り。戦時共産主義は、1918から1921年の間、他国による対ソ干渉戦争に対し、レーニンが採用した防衛策である。

Y 正しい。ソ連の第1次五か年計画では、重工業化と農業の集団化が図られた。

Z 誤り。農業調整法(AAA)は、フランクリン=ローズヴェルト大統領のニューディール政策の一環。

よって、正解は⑤

 

 

 

 

最後に

〔 11 〕のような後世の歴史家の解釈に関する問題は、第4問の〔 30 〕にも見られ、「歴史総合」「世界史探究」「日本史探究」が導入された、高校段階での歴史教育に対するメッセージがうかがえます。

「史実」というものが、多様な史料の解釈を基に形成されていくものであるという、歴史学における実証のプロセスを問う問題でした。

次年度以降も同様の問題が見られるのではないかと思われます。

 

次回は第3問の解説です。